今まで誰も教えてくれなかった、おもしろがって生きる方法^^
30の時に軽鬱になり、自分の良いも悪いもすべて受け入れ、一から自分に向き合い根っこを磨くことを始めました。
心理学や学問、神道や量子力学など、さまざまな学びを得る中で、学問では「易経」仏教では「密教宿曜」という「占い」が学びとして出てきます。
学びになぜ占いなのか???ただ単に時の支配者が吉凶を占うものなのか???
御縁あってバリバリの「仏教」天台宗のお寺に働くことになって、さまざまな道に向き合ってきた人にお会いしたり、話を聞かせていただく中で、「なぜ?占いがあるのか?」その意味がやっと分かりました^^
今は、占いとは吉凶を調べたり、自分を知るツールとして活用されてますが、
本来占いとは「そこから問いが始まる」ものです。
自分を知ることは大切ですが、知るだけで安心して行動を起こさなければ何も始まりません。
世の中にあるさまざまな教えは、「試して」初めて自分の血となり肉となります。
仏教の最終形態 「楽志」
密教は仏教の最終形態と言われ、その最終形態とは「笑う」ことのようです^^
「笑う」とは「おもしろがれる」ということです。
生きていると、つらいことややりたくないこと、気の合わない人、納得がいかないことなどたくさん起こります。
それらをいかに「おもしろがれるか?」が問われるのです。
おもしろがって生きることを仏教用語で「楽志」(がくし)と言うそうです^^
おもしろがれるにはモノゴトを限りなく受け入れなくてはなりません。
受け入れている人は、とても強いです^^
逃げません。
緊張しません。
動じません。
樹木希林さんがなくなるときに残した言葉「比べず・奢らず・おもしろがって生きる」と言われました。
なんとなく「受け入れる」ことの感覚が伝わりますでしょうか^^
「受け入れる」とは
受け入れた状態とは何かで測れないでしょうか?
仏教では、真理のことを「真諦」(しんたい)と言われるそうです。
諦めるという字がついていますが、消極的なことではなく「諦める」とは本来「事を明らかにする」ことで、絶望や失望することではありません。
また、「諦」には「言偏」に「帝」と書きます。
つまり、「言葉の帝」です。
言葉とはすなわち私たちの思いの表れ、根っこが表現されてものです。
受け入れているかどうかは、言葉で測れるということです。
「言葉が人を作る」
「しぐさ」
と呼んでるのはこのことです。
いかに言葉を育んでいくのか?
言葉といっても「言葉が思考を作る」のようなレベルの話ではありません。
もっと別次元の本当にあなた自身にある「心の言葉」のことです。
これを「言霊」と言ったりもします。
密教宿曜は、その本当のあなたの言葉に取り組むための磨くツールが書いてあります。
占いととらえるか?統計学ととらえるか?
磨くツールとしてとらえるかはあなた次第です。
残念ながら、本当の意味で宿曜を学ぶためにはお坊さんになるしかないようなんですが。
では、私たちは「おもしろがって生きる方法」を学べないのか?
いいえ、私たちには、先人の教えや心理学や学問、こういった書物からヒントを得て試すことができます。
日常こそが稽古なのです。
いくら朝礼で「笑顔が大切」と唱えていても、日常でそれができないと意味がありません。
「いろんなことがあるけど笑顔でいよう」
そう取り組むことが修行なのです。
あなたは、試す人ですか?試さない人ですか?
人生おもしろがれてないのなら、それは
やってないだけ。
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お知らせ
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人生をおもしろがって生きる方法。
心はどんな構造になっていて…
何に取り組み…
何を身に着ければ…
おもしろがって生きれるようになれるのか^^
おそらく、シンプルであり構造的にお話しできる人は、ほとんどいないのではと思います。
そんな一人( ^ω^)・・・「楽志」セミナーやろうと思います。
また、ご連絡いたします^^